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#fffff9さま


 チェコです。たいへんに遅くなってしまいました。桜のお話をしていたのに、もう七月の終わりが近いです。

 自然のことについて。たいへんに考え込んでしまいました。自然とは何を表せばよいのでしょう。
 チェコは、自然を観にいくということが理解出来ません。たとえば時々山で遭難する痛ましい事件がありますが、何故山に登るのか、チェコはいつも憤慨致します。チェコの(余談ですが、大嫌いな、)知り合いが、自然に対峙して畏れと己の小ささを知ることは素晴らしいだとかなんとかいつまでも云っていました。そのひとは山岳部の出身者なのですが、この自分の住んでいる土地から遠く山の頂きを眺めるだけでは何にもわからないばかなのではないかと、チェコは今でもぶつぶつと不満に思います。山に登りに行ったり、アメリカの岩場だとかエジプトの砂漠だとか、サバンナだとか北極だとか、そういうものにはチェコはちっとも興味がございません。

 でもチェコだって自然という言葉に慎重なだけであって、色々なものが好きです。そして、畏れも感じます。
 一番にそれを感じるのは、空です。もう夏空となって、晴れた日にかおをあげると軽いめまいが致します。夏の空は水平線では銀青に融けていっているのではないかと思うほど、とろとろとなめらかにそれでいて軽々と、雲を孕んで浮かんでいます。空が青いのは光の色の波長の関係だと女学校で倣いましたが、一体、もしも空色を青にしようと定めた神様がいらっしゃるのなら、やっぱりそれは誰も太刀打ち出来ない方なのだろうかと思います。

 空は青いという単純な話ではなく、空はいつまで経っても存在するだろうということが、チェコにとって自然の強く畏れるべき在り方を実感させます。少しお話が飛びますが、チェコは時々戦争の頃の空についてもの想うのです。家が燃えてひとがいっぱい亡くなって木々が倒れたそのときも、やっぱりあの空はあんな風に佇んでいたのでしょうか。空襲で街並がすべて壊れたとき、悲しみと痛みに打ちひしがれながらひとは、空を見上げたのではないでしょうか。遠い外国の島に出征した兵士もやはり、空をふと見上げたと思うのです。戦争の話はつらいけれど、チェコはだんだん六十何年前に時をぐるぐると遡り、かの時代と空を共有出来るような錯覚がするのです。これが、チェコの思う自然についてのお話でした。

 #fffff9さま、チェコはまたおねだりがしたいです。もう、夏になってしまいましたので、夏のたべものについて聴かせて下さいな。夏のたべものを、チェコは、知りたいのです。お料理でもいいです。夏のお料理ってなんだか特別になる予感が致します。

 お元気でいて下さいね。
                        草々 チェコ