「妻へ(2)」


死ねば助かるのに・・*1


──

 妻の体が私になって、私の体が妻の体になれば良い。そうなふうに思ったことは幾度もある。

 妻の肢体を出刃包丁で切り刻み、茹でたり焼いたりするたびに、そんな目に合うのが私であればどれだけ良いだろうと。

  *

 しかし臆病な私に今できることといえば、闇雲なギャンブルくらいのものだ。勝ちを望まず、かといって負けを望むこともなく、ただ機械のように目の前の仕事をこなす。計算機が計算をするように、勝ちの芽吹きを感じ、それを摘み取り、誰にも渡さないようにポケットにしまって、妻の待つ代わり映えのしない家に帰る。それが私の生活のほとんどすべてになった。

 そんなギャンブルが面白いはずもない。しかし、一人で外をぶらついていても、家で妻と懇ろになっていても、それは同じことだ。
ただ目の前の出来事を見て、感じ、最良を模索し、そこに至る道をぽつねんと歩く。
博打を打ち始めた頃は、勝つことが最良だった。いや、無理にでもそう思っていたので、勝ちを目指せば良かった。やがてそれに飽きると負けを目指すようになり、負けが最良になった。もちろん、上手く勝てない時もあるし、上手く負けられないこともあったが、概ねは思った通りにことが進んだ。
 そして今は勝ちを目指すのではなく、負けを目指すのでもなく、何が最良なのか分からないままに、それを闇雲に探す。
結局、同じことなのだ。ただ私にとっての最良が、以前よりもっと訳の分からない、ぐねぐねとした抽象的なものになっただけのことである。

  *

 何故あんな妻を娶ったのかと人から問われることはよくあった。「何故あんな醜い妻と」いや、そんな言い方ではなかった。もっと直接的に「何故あんな醜いものと」、あるいは「何故そんなことをするのか」と。
人々は私を狂人を見るような目で見遣ってはいずれも去っていった。しかし私は狂人ではない。若い頃と何も変わりない。ただの凡夫である。

 人はいつも心地よいものを求めているわけではない。醜いものや、嫌な気持ちを求めることもある。そしてそのどちらも求めることができなくて、何を求めたら良いのか、その答えを求めることもある。
 だから私はこの妻を今日も、「ああ、醜い」と思い、その思いに何の感慨も抱けないままに、それでもこの生活を続けていくしかないのだ。

 なにしろ人々は皆私の傍を去っていってしまったので、もうこの生活を語る相手はいない。
 だから私は一人無言のままで、グロテスクな妻の体を愛でる。時には嗅ぎ、刺し、刻む。
 仕方ない。かつて私が唯一自分の命を賭けた時、私はその賭けに勝ち、同時に私は私に敗れた。私は私の命を守り、妻の命を失った。
 それ以来、まだ二度目が訪れることはないのだから。


*1: 福本伸行『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』より