詩「春鬼 (2)」

春鬼 (2)


女は覚悟が良くて/私などより見事に散らかる。/心も足も曝して見せる。/彼女を散らかしたのは/私であった。/その私が目を逸らし/女が真直ぐ/見詰めるものがある。*1




春がきた。
重たい赤ん坊を 背負 ( しょ ) うように
白い薄手のシャツを着て
ずるずると音を立てながら。

わたしがこうして踏んでいる
わたし自身のわたしの影と
靴との隙から這い出してきて、
さあ、ああ、春がきた。

ふと足元に目を遣れば
春はひたすらに丸い眼で
昆虫のように
じっとこちらを見つめている。

芋虫よりもなまめかしい白い手が
わたしの足首をつかむ。

その手に死体の冷たさはなく、
燃えさかる恋の熱もない。
だから震えがとまらない。



――もう少しあたたかくなったら、一緒に野球を観にいこう。

そんな呪詛さえ春は吐く。
春は、
気が狂うほどに穏やかな南風を
音にして
声にならしめて
聞くものの脳内で言語に変化し
その想いさえ蝕んでいく。

いつかは在ったはずの
冷たい水のようだったわたしの戦慄は
春に飲まれて今はもうない。



春の心
春の脳
春の手
春の指先

それがもとから人だったのか
人を丸ごと食らい尽くして
酸素のように隙間なく
人のかたちを埋めたのか

わからないが
ここには春の人形があり
それはわたしの似姿で
心身を共有している。

*1:小川三郎「姿見」(『永遠へと続く午後の直中』収録)より